竹富島
   ⇒与那国島

 竹富島の集落は島の中央部にあるため、港に上がってから少し歩きます。
 須田画伯が分厚いセーターを着たまま汗だくになって歩いた姿を想像すると吹きだしそうになっちゃいます。
 司馬さんたちの泊った高那旅館 
 赤山丘という小さい丘の上に展望台があったので登ってみました。集落が見わたせて気持ちの良い展望台でした。
 赤瓦と白い珊瑚の砂の道
 中筋井戸
 天水に頼っていたこの島で、ある日犬が見つけたとか・・・
 ンブフル
 むかし、牛が高い丘を築き、その上で「ンブフル、ンブフル」と鳴いていたそうです。それを見た酋長が丘の上に見張台を作ったので「ンブフル」と呼ばれるようになったとか。
 ンブフルから
 小浜島の後ろに西表島が見えました。
 蔵元跡
 星砂浜の入口近く、密林の中にありました。
 司馬さんが鉄器の到来という点で非常に興味を示されていた鍛冶場跡。鍛冶御嶽として祀られていましたが、御嶽自体は祀事に便利なように中筋集落近くに移されたそうです。竹富島を訪ねるたびに探したのですが、なかなかわかりませんでした。今回、喜宝院蒐集館で本来の場所を整備されたと伺い、場所をお聞きして訪ねることができました。
 カイジ浜は別名「星砂の浜」と呼ばれています。
 拾った星砂です。
 喜宝院蒐集館
 日本で最南端の寺である喜宝院の初代住職である上勢頭亨さんが「蒐集」した竹富島の民俗資料などを展示しています。
 琉球王朝時代の美術品や庶民の生活道具、戦時中の軍票からアメリカ占領中の米ドル札まで、竹富島の民俗資料が、もりだくさんに集められていました。
 小城盛
 海上を通る貢船や異国船の監視をした所で、黒島や波照間島にもあります。石垣島にある蔵元まで烽火のリレーにより通報が行われたそうです。
 スペインがキリスト教の布教を名目に琉球そして日本へ軍事的進出をはかろうとしていたことは「南蛮のみち」を訪ねたときに勉強しました。台湾やフィリピンに近い八重山諸島にスペイン船の影が忍び寄っていたんだなぁ。 
 安里屋クヤマ生誕の家
 「安里屋ユンタに歌われる、役人に求婚され、ひじてつを食らわした美女クヤマの生まれた家」という説明だけだとフーンという感じですが、苛酷な人頭税の時代であり、役人は横暴であったという背景を考えると興味深いです。
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