阿波紀行
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 8月12日、お盆の渋滞を避けるため日が暮れてから東京を出発し、名古屋の手前にあるスーパーホテルで1泊しました。
 翌日は斎藤拙堂を訪ねるため津へ立ち寄り、室生寺や大宇陀に寄り道してから淡路島を経由し徳島へ。
 ちょうど阿波踊りが開催されていました。
 8月14日
「関寛斎という人を知っていますか」
 司馬さんは同行の人にこう問いかけたものの、「いまは忘れられ、碑もないにちがいない」と記述しています。
 しかし助任川の河畔が整備された際、寛斎の住んでいた中徳島町に胸像が建てられました。
 徳島市から国道を北上して鳴門へ。
 土佐泊という小さな集落にある潮明寺を訪れました。
 境内に紀貫之の歌碑がありました。
 続いて、渦を見ようと昨夜渡った大鳴門橋まで戻ってみました。
 ちゃんと数日前に潮見表をチェックして訪れたつもりだたんですが、1日で数時間も異なるとは知りませんでした。
 観潮船の乗船券売り場で「今の時間帯は見えんなぁ」と言われてしまいました。またお預けです。
 江戸初期にテグスを開発したという堂浦。
「歩きまわっても自村の過去の栄光をたたえるという記念物がない」と書かれていますが、僕も何も見つけられませんでした。
 勝瑞城
 室町時代に阿波を治めた細川氏の居城だったそうです。古い時代の掻きあげ城で、城跡は後の時代の三好氏の菩提寺である見性寺というお寺になっていました。
 近くでは、勝瑞城域の発掘調査が行われていました。
 四国八十八箇所の一番札所、霊山寺
 ちょうど6年前の8月、ここから歩き始めたんだなぁと感慨深いです。
 あの日も今日と同じように暑かったっけ・・・
 第一次大戦中の青島攻撃におけるドイツ人捕虜を収容した「坂東俘虜収容所」の跡。
 この地で優遇されたドイツ人捕虜が帰国する際に築いた「ドイツ橋」は大麻比古神社の社殿の裏にありました。
 藍師の代表的な屋敷である田中家。国指定重要文化財と札が立っています。
 日曜日なら内部を見せていただけるそうですが、月曜日だったので諦めました。
 近くの藍住町に、同様に大藍商であった旧奥村家屋敷が「藍の館」として公開されていました。
 吉野川に沿って西へ走り、脇町へ。
 大谷川が吉野川に注ぐ付近にパルシーという大型店舗が建っています。うだつの町並みにあわせて意匠されたこの建物にも、司馬さんは「正面から取り組んでいる」と高い評価をしています。
「阿波のよさは、ひょっとすると脇町に尽きるのではないか」
 司馬さんの一節が看板になっていました。
 脇町図書館
 虫籠窓からは白壁土蔵造り、うだつの町並みを見ることができます。
 脇町を後に、さらに吉野川に沿って西走すると池田に到着。池田町はいまは三好市になっています。
 古くから交通の要衝であり、たばこの集積地として発展しました。
 白地
 阿波、伊予、土佐の三方に通じる戦略上重要な場所だったところです。吉野川も国道もここで直角に方向を変じます。
「平家の落武者たちも、よくまあここまで来たと思った」
 司馬さんが感嘆したのも理解できるほど深い谷を遡って祖谷を目指します。
 祖谷のかずら橋
 司馬さんと須田さんが阿波の旅を締めくくったかずら橋は今日もゆらゆらと揺れていました。
 司馬さんは往復してみたと書いていますが、現在は一方通行で500円でした。
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