奥州白河・会津のみち
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  8月2日。東京を早朝に発ち東北自動車道で白河へ。旧陸羽街道である国道294号で白河の関を目指しました。
 路傍の少し高い所に「境の明神」があり、そこから南へは関東に向けて勾配がさがっていました。
 白河の関跡の碑
 白河ハリストス正教会
 白河の関をあとにして白河市街に向かいました。
 街の中心あたりにある「白河基督(ハリストス)正教会聖堂」に9時半に到着しました。明治15年に会堂が建てられ、今も集会所として現存しています。聖堂は大正4年に建立されたものだそうです。
 大内宿
 会津西街道の宿場町。江戸時代の面影をそのまま残しています。

 
「これは、すばらしい村です。」須田画伯が、肝をつぶしたような声をあげた。江戸時代そのままのただずまいだった。 
 会津若松城
 近江日野の蒲生氏郷は、伊達政宗の抑えとして会津黒川(会津若松)へと転封になり、七層の天守閣をもつ城を築き鶴ヶ城と命名ました。奥州で最大の城だったそうです。
 興徳寺 蒲生氏郷廟
 蒲生氏郷は織田信長の娘冬姫を妻に娶とり、日野6万石から松坂12万石を封じられます。その後わずか2年後には会津92万石の大大名となっています。千利休も「日本で一、二の逸材」と評するほどでしたが、惜しいことに40歳で亡くなりました。
 慧日寺跡 仁王門
 慧日寺は平安初期に高僧徳一によって開かれた1200年の歴史を持つ寺で、徳一は最澄や空海と論争を行なったことでも知られています。
 会津仏教発祥の地であった慧日寺は、明治初年の廃物毀釈により堂宇や仏像が焼失しました。
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