オランダ紀行 1
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 今回のオランダ探訪は、アムステルダム行きの便が取れなかったので、フランクフルトを基点にまわることにしました。
 いつもどおり空港でレンタカーを借り、ライン川に沿ってケルンへ。ケルンから国境の街、アーヘンまではA4号線を西へ走りました。
 ほとんど国境に気づかないままオランダへ入国。目的のオランダ・ドイツ・ベルギーの三国国境を探しました。
 とりあえずファールスの街の南側が小高くなっていたので、適当に道を進めると「Drielandenpunt」の道路標識。案内に従ってちょっとした山道を登ると、以外にも子供向けの園地になっています。適当に駐車して歩いてみたら、展望台らしき建物もあります。
 オランダの標高最高地点332.5mを示すモニュメントの近くに、三国の国境を示す石柱が建ってました。
 
 DrielandenpuntからはN278号を西へ。
 1時間ほどで到着したマーストリヒトは、西日を受けてマース川に輝いて映っていました。

 しばしマーストリヒトで時間を過ごし、日が暮れてから一路アムステルダムへ向けA2号線を北上しました。
 昨晩、アムステルダムのホテルにチェックインしたのが11時前。ちょっと疲れたし、天気も雨がちだったので、市内をめぐることに。
 まずはレンブラントの「夜警」を展示しているアムステルダム国立美術館へ。本館が改装中だったので、脇から入場しました。
 アムステルダムの市街地は、同心円を描く運河と一方通行の狭い街路のため、車を運河沿いの駐車スペースに放り投げ、歩いてまわることにしました。

 アンネの日記が書かれた隠れ家へ。
 隠れ部屋へつながるドアは本棚でカムフラージュされています。
 アンネの家で、すっかり考え込まされた後は気をとり取り直して市街の散策。東京駅のモデルという話もある中央駅から飾り窓地区を抜けると、レンブラントの家があります。
 壁面には1606年に建てられたこと、そしてレンブラントが住んでいた1639−1658というプレートが掲げられていました。
 
 翌日はN235号線を北上し、港町ホールンへ。
 教会裏に駐車して広場に面した東インド会社(V.O.C)であった西フリージアン博物館を訪ねます。
 司馬さんが、圧倒的な感動を受けたと書いている東インド会社当時の会議室に飾られている武装した市民たちの絵。
 広場の反対側は、東インド会社当時の計量所で建築は1609年だそうです。内装はそのままにレストランになっているので、天井から下がる当時からの計量秤などを眺めながらコーヒーを味わいました。
 遠くアジアから戻ってきた船が入港したホールンの港。よくまあ喜望峰を回り、インドを越え、はるばる日本まで・・・
 続いて高速道路A7号線を北上し、今回の旅の第一目的である大堤防へ。
 Dan Oeverを過ぎると、北海のなかを一直線に大堤防が続いています。途中にパーキングは3ヶ所あるようで、司馬さんの書いていたモニュメントは何処にあるのだろうと少し心配していたんですが、10kmほど走った最初のパーキングが「モニュメント」という名前でした。
 展望台に登ると遥か彼方まで続いている大堤防を実感することができました。左が北海、右が遮られて誕生した淡水の湖。
 展望台の一階部分には粗朶と石を人力で積み上げているレリーフが飾られていました。
 大堤防を渡りきると古めかしい水車と現代的な発電用風車が広い野に散らばっていました。
 Zurichという村でUターンしてA7号線を南下。アムステルダムを通り越してナールデンを訪ねます。

 函館にある五稜郭がモデルとしたという星型の城塞都市です。もっとも本物は城ではなく街ぜんたいが濠に囲まれています。スペイン軍にだまし討ちにあい、市民全員が殺戮されたのは16世紀のことです。
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