オランダ紀行 2
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 前夜はナールデンで夕食をとり、夜おそくライデンの隣町であるLiderdorpにあるHotel Ibisに到着。
 朝食を食べてライデンに向かいました。
 ライデンへは15分ほどで到着。風車博物館の脇に広い駐車場を見つけたので、車を置き、旧市街地を散策することにしました。 
 運河を渡ると、レンブラントの生地。
 レンブラントの生地跡から角を曲がると運河に沿って、お目当てのシーボルトハウスがありました。
 シーボルトは、1923年(文政6年)に来日。医師として活躍する一方、日本各地の地理や動植物などの資料を収集しました。このなかに日本地図も含まれていることが帰国のおりに発覚し、国外追放になりました。
 オランダに帰国したシーボルトが、ライデン大学のすぐ近くに構えた邸宅がこの建物です。
 シーボルトの元邸宅は、その後、裁判所として使用されていましたが、2005年に記念館として一般公開されました。
 浮世絵や絵地図、動植物の標本などさまざまな江戸時代の日本民俗資料が展示されています。
 目をひいたのは、矢作川にかかる橋の模型でした。
 それと、シーボルトが連れ帰った愛犬「さくら」も可愛かったです。
 ライデン大学は、オランダがスペインから独立を勝ち取った際の褒美として、当時のウィリアム一世から市民が要望して設立されたのだそうです。
 植物園のなかにシーボルトを偲んだ日本庭園が造営されていました。
 司馬さんが、土ばかりで石の無いオランダにおいて非常に愛着を感じたというライデンの石畳。
 スイスやドイツなど山のある国から買ったといいます。今でもそうだそうです。
 1573年、スペイン軍に街が包囲されたとき、全市民が立て籠もったという城塞(Burcht)
 小学生のグループが先生に引率されて、社会化見学といった風情で訪れていました。
 ライデンをあとにN11、A12、A20、A16と走ってロッテルダムへ。さらにA15を走ってキンデルダイクに向かいました。
 ロッテルダムの南東約10kmに位置する郊外の村は、18世紀の風情のままに水車が立ち並んでいることで知られています。
 世界遺産にも指定されていて、水車小屋のなかを見学できるようになっていました。
 キンデルダイクを訪れた目的は、その有名な水車群だけではなく、咸臨丸を生んだ造船所が今でも稼動していると聞いたからです。咸臨丸は江戸幕府の要請で1857年に完成しました。当時のホップ・スミット造船所は、現在ではIHC Holland(オランダ工業通商共同経営会社)と名を変えていますが、往時と同じようにライン川に面して稼動していました。
 キンデルダイクからA58を東へ走り、アイントホーフェンの東にあるヘルモンドで投宿。翌朝、A270を西へ少し戻ってニューネン村を訪ねました。
 ニューネン村はゴッホが30歳の時から2年ほど両親とともに住んだ村です。あの「馬鈴薯を食べる人々」もこの地で描かれたそうです。
 ゴッホ記録センターという資料館でゴッホゆかりの地の地図をいただいたので、村の近傍をまわってみました。

 「ニューネンのプロテスタント教会を出る会衆」という作品で知られる教会は、ゴッホ資料館のすぐ前にありました。
 この作品は2002年にアムステルダムのゴッホ美術館から盗まれてしまい、いまも行方不明なんだとか・・・
 さて、いよいよ最後の行程。アイントホーフェンまで戻ってからA2号線を南下し、マーストリヒト手前にあるトールンを目指します。
 41番の出口で高速を降り、標識に従って白い村へ。
 確かに村じゅうの民家の壁は白く塗られていて、オランダ南部であることを忘れてしまいそうです。
 vvv(案内所)で「街のミニチュアを探しています」と聞くと、「あぁ、パノラマね」と言ってミュージアムを教えてくれました。
 司馬さんの記述を読んで、なんとなく古い模型(四国の松野村のような)を想像していたんですが、実際は電動で回転する新しい感じの模型でした。(あとで読み返したら1985年完成だそうです)

 駆け足で巡ったオランダ紀行も今回の分はこれで予定終了。高速をひた走ってフランクフルトへ戻り、帰国の途につきました。
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