中国・江南のみち 蘇州
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 12月22日、三連休を利用し蘇州を訪ねることにしました。
 2泊3日とは短いですが、2007年9月から就航した羽田〜虹橋便に空席があったので、思いきって行ってみました。
 昼前に上海虹橋空港に到着。入国手続きと両替を済ませ、長距離バスセンターからバスで蘇州に移動しました。
 15時に蘇州中心部にあるリムジンバス発着所に到着。最初に眼についたのは日本のそれに比べて大きく立派な「うだつ」でした。
 大きく屋根にあげた「うだつ」は、隣家との境を成したまま家屋の前の地面まで壁のように落ちています。まさに防火壁でした。
 観前街近くのビジネスホテルに荷物を置いて、明・清時代の町並みが再整備されたという山塘街へ。
 ホテルから30分ほどゆっくり西へ歩くと、ライトアップされた「しょう門」(チャンモン?門がまえに昌)が見えてきました。
 約2500年前、春秋の呉・越の時代からここに門があったそうです。
 蘇州城西辺の門と運河にかかる橋をわたると山塘街。ライトアップというより電飾で飾り立てられたイルミネーションは感性があわず。
 まだ再開発されていないエリアの運河の風景が心に残りました。
 12月23日。司馬さんの泊まったホテルのある十全街方面へ。
 輪タクで行こうか迷いましたが、街の雰囲気も楽しみたかったので歩くことにしました。
 人民路を南に歩くと、すぐに「怡園」  5年前に会社の旅行で入りましたが、司馬さんが「北寺」で見かけて気にとめた陶製の屑入れが、この庭園にも確かあったと思うので入場しました。
 ありました。「果売箱」と書いてあります。「果」は果物、「売」は殻という意味だそうです。
「いま中国にのこされている明・清以後の庭園や建物の多くは、まことにわずらわしい。奇怪な形をした太湖石を庭園に使うことが流行し、庭に置くことが権力と富の象徴のようになった。しまいには庭園じゅうにその白い化物のような石を林立させ、いわば美学以外の情熱を充足させるようになった」
 司馬さんが書いたのと同じような感想を持ちました。怡園にて。
 十全街の蘇州飯店近くに11時前に到着。観前街の北、因果巷の漢庭飯店から4キロ弱でした。
 運河にかかる橋から白い家並みを眺めていると時が止まったような印象です。表通りの喧騒が嘘みたい。
 小路を入ると司馬さんがスペインのようだと評した白い家並み。昔は石畳だったんでしょうが、現在はインターロッキングになっていました。 
 姑蘇飯店
 司馬さんや須田さんの泊まった宿だと思います。高い部屋から安い部屋までいろいろあるみたいです。

 蘇州を歩いているとモーター三輪車の客引きがうるさいうるさい。次の目的地は市外で距離があるし、ぼったくられそうなので十全街でタクシーを拾いました。
 拾ったタクシーは気のよさそうなおばちゃんでした。「宝帯橋」と書いたメモを見せると、わからないような感じ。仕方ないので地球の歩き方の記載を見せると、載ってる写真を見て、ようやくわかったみたいです。

 でも、なんとなく方向はあっちかなぁ、ぐらいだったようで、地図を見てるとどうも違う道。道行く人やタクシー仲間に何度も道を聞いて、やっとこさ到着しました。
 蘇州と杭州を結ぶ京杭大運河に沿ってかかってます。資料によると長さは317m、幅4mで、石橋としては中国でも最長だそうです。「街道をゆく」の文庫本には90mって書いてあるのは間違いかな? 連なるアーチは53。
 唐の時代の地方長官仲舒が募金と、自らも腰に結んでいた家伝の宝帯を寄付して架けたので「宝帯橋」と呼ぶそうです。その後、明の時代に再建。
 今回の蘇集訪問の目的を無事果たしました。
 宝帯橋がわからずに道を尋ねたタクシーには日本の方が乗っていて、やはり宝帯橋を探していたそうです。奇遇!
 タクシーの運転手さんも初めて来たらしく、一緒に橋を渡って見学。さらに渡った先の小島にある家庭菜園で野菜の調達をしてました。
 宝帯橋は町外れだったのでタクシーには待っていてもらい、再び蘇州市街地へ戻りました。盤門で降ろしてもらって85元。メーターとどおりでした。
 さて、名勝盤門の南にかかる呉門橋。奥の大きな石橋です。手前の橋について司馬さんは「いま一つのりっぱな古橋には名前がない。まことに鷹揚というか・・・」と書いていますが、資料によると水関橋という名だそうです。
 運河を跨ぐ水城門と盤門。この小運河は船で城に入るためのものですが、越が攻めてくるような時は、敵が侵入しないように、鉄の柵が降りてくるようになってます。
 柵が降りてくるスリット。水路のほか、陸の門にも柵がおりるようになっています。鉄柵というひともいれば、司馬さんのように石の壁がおりてくるというひともいます。
 城門の上にある柵の巻き上げ装置。柵は残っていませんが、隙間から覗くとしたの通路が見えました。

 上海行きの列車まで時間があったので、タクシーで楓橋へ。
 蘇州市街地の西北にある寒山寺は6世紀の創建だそうですが、清の末期に焼失し再建されたんだそうです。その寒山寺の近くにあるのが楓橋。漢文の授業で習う「楓橋夜泊」で有名ということなんですが、恥ずかしながら知らない。習ったかなぁ・・・
 現在の楓橋は1867年の再建。寒山寺の前にある姿の似た橋は江村橋。ツアーガイドでさえ勘違いしている人がいるそうで、実際、会社の旅行で行ったときには、寺の前の橋を楓橋と言われて写真を撮ったような気がします。江村橋は1706年の建設とのことなので、古いのは江村橋のほう。
 目的の楓橋は寒山寺弄という土産物屋の路地の奥、有料の修景地区内にありました。
 今回の蘇集訪問の目的は宝帯橋と石橋のかかる運河の風景。駆け足でしたがいちおう目的は果たせました。
 19時23分発の列車で上海へ移動です。
 快速特急は新幹線の車両ではなかったけど、わずか50分で上海に到着。外灘にとったホテルまで地下鉄で移動しようと思ったんですが、せっかくなので陸家嘴駅まで一駅乗り過ごし、浦東地区から外灘の夜景を眺めました。
 早くも最終日。飛行機は昼過ぎなので、外灘から豫園にかけて朝の散歩がてら歩いてみました。
 外灘の北端にある外白渡橋。1907年にイギリス人により架けられ鉄橋で、リベットがばんばん。「外」は外国人、「白」は無料、中国人に対しては有料だったそうです。黄浦公園一帯は「犬と中国人は立入禁止」だったそうです。
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