「峠」河井継之助を訪ねて  長岡1
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東京駅
 東京駅6時08分の始発に乗って長岡を目指しました。

長岡城趾
 元和3年(1617)に堀直竒が築き、翌年に牧野忠成が入城した長岡城は、維新後に破壊され何も残っていません。現在のJR長岡駅が本丸跡だそうです。
 西に信濃川、北が広大な沼(八丁沖)、南が榎峠で守られているとはいえ防御力は高くない平城です。 

河井邸趾
 蒼龍窟の名の由来となった2本の大きな松があったそうです。1本はずっと以前に枯れてしまい、昭和59年末の豪雪により残る1本も倒れてしまったそうです。
 隣接地が小公園として整備されたので、ベンチに座って想いを馳せることができるようになりました。

郷土資料館
 悠久山公園にある長岡市郷土資料館は長岡城を模した建物です。蒼柴神社下の駐車場に車を置き、ゆっくり歩いて10分ほど。入館料300円を払って中へ。

ガトリング砲
 1862年、南北戦争中にリチャード・ジョーダン・ガトリングが発明したガトリング砲。銃身が6本あり1分間に200発の連続発射ができるそうです。当時日本には3砲だけ輸入され、うち2砲を継之助が買い付けました。残る1砲は薩摩藩。
 ちなみにガトリング砲はその後も改良され、ベトナム戦争でも米軍の「航空機載機関砲」として使用されています。

塵壷
 継之助が備中松山藩の山田方谷に師事するため西方遊学した際の日記。
 長岡市立中央図書館のサイトで読むことが出来ます。→

軍扇
 継之助の使用した軍扇
 並んで芸妓たちを前にした継之助の挿絵

継之助の書
 民者国之本 吏者民之雇 とあります。

三島中州による碑
 郷土資料館は充実していて飽きませんでした。郷土資料館から坂を下ると三島中州による河井継之助の碑が建っていました。
 蒼柴神社の社殿左手奥に悠久山招魂社がありました。北越戦争の戦死者などを祀っています。
 総督継之助と大隊長山本帯刀の墓標が並んでいました。山本帯刀は会津で西軍に捕縛されましたが、降伏を拒み24歳で斬首されました。

司馬さんによる碑
 長岡から国道17号を南下し、信濃川にかかる越の大橋を渡った堤防上にある「峠」の碑
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