備中高梁
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 8月15日、備中松山城の城下町、高梁を訪ねました。
 明治のはじめまで城下町は松山、商家町は高梁と呼ばれていたそうですが、愛媛の松山と紛らわしいということから備中高梁で統一されたそうです。
 武家屋敷の石火矢町は漆喰壁の長屋門や土塀が続いています。
 本町通り
 古い面影を残す本町の小池鮮魚店。右隣が高梁を代表する商家であった醤油製造の池上家
 備中松山城は鎌倉時代に築造された山城で、現存するものとしては日本一高い所にある城だそうです。
 駐車場に車を停め、汗をかきかき15分ほど遊歩道を登ると本丸に到着しました。 
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