go to top 区切り打ち その2

13番大日寺から23番薬王寺まで

12年10月6日〜9日

通算5日め 12.10.06

常楽寺へ
 羽田7時半の全日空で徳島へ。徳島駅でバスに乗り込み、リュックを持った方と黙礼。お互い歩き遍路とすぐわかった。
 
 大日寺の大師堂裏を拝借し白装束に。参拝を済ませ、県道向かい側の阿波一宮神社へ。他に人は見あたらず静かな境内だった。

 旅館脇の路地を入り水田のなかの遍路道へ。三叉路のお地蔵さんに挨拶したり、ジョギング中の人と話したりしながら、のどかに歩を進める。薄曇りのせいか暑くも寒くもなく歩きやすい。
 鮎喰川にかかる橋を渡り、第14番常楽寺に到着。波打つ岩の境内を進み本堂と大師堂へ。本堂前のアララギの木に小さなお大師さんが祀られていたけど、午前中は逆光。
 登ってきた石段を途中から左へ折れ、奥の院へ。地元の方が黙々と庭の掃除に励まれていた。
 第15番国分寺までは10分。重厚な二層づくりの本堂が印象的。わんちゃんは春に亡くなったそうで会えなかった。

地震に遭遇
 用水沿いの白壁に沿って歩き、新しいバイパスを横切って第16番観音寺へ。
 本堂で読経を始めたら横揺れに襲われた。本堂の柱が不気味な音をたてている。地震だ、大きい。瓦を注視しながら飛び出した。納経所で聞けば震度5、鳥取県西部地震との遭遇だった。
 神社を抜け国道沿いのモスバーガーで昼食にする。朝、バスで一緒だったお二人に再会。大阪から来られたKさんとSさんは高速バスで徳島に来られたとのこと。しばし地震談義に花が咲いた。

 府中で踏切を越え第17番井戸寺。日限大師堂で恐る恐る井戸を覗いてみた。案外はっきりと遍路姿が映った。あー、良かった。

反物問屋が目立つ商店街を抜け、徳島市中心部を歩く。都会的な町並みに、ちょっと遠慮がち。
 でも、横断歩道のたびに励ましを受けたりお接待を頂いたり・・・。朝食を仕入れようと立ち寄ったコンビニでも、単車のお兄さんから激励された。徳島、暖かいなぁ。
 二軒屋のビジネスホテルの食堂でKさんSさんと再会。今日は27,473歩。

通算6日め 12.10.07
 ベッドの上でパンを食べ、出発。地蔵橋のお地蔵さんに挨拶したりして国道55号線へ。しばらくは交通量の多いバイパスを単調に歩く。日差しが強くTシャツ一枚。予想以上に暑い。

 案内に従い右に折れ、見覚えある山門をくぐって第18番恩山寺に到着。石段を登り本堂へ参拝。納経を済ませベンチで休憩をとる。
 年配の歩きグループの方が「足痛うてかなわん、ここでやめとこか」と相談していた。尾瀬歩きなどと違い、アスファルト歩きは確かに足にこたえる。
 整備されたトイレを拝借し、車道途中の牛舎から竹藪に分け入り弦巻坂と呼ばれる遍路道へ。こういう静かな土の道が歩きたい。

 釈迦庵に立ち寄ったあと、車道を右にとり歩いていたら、軽トラの方に「あんたも間違うとるよ」と声をかけられた。この奥で他の遍路にも道を教えたとのこと。正しい道は、左行って畑のなかを右だそうだ。わかりにくそうなので曲がり角で道間違いの先輩を待ち、身振りで路地を伝えてから再び進む。

立江へ
 お京塚手前の自販機で休憩し、街中の第19番立江寺へ。関所寺、大急ぎで過去の行いを高速再生してみる。前回無事廻ったんだから、えーっと、その後は特に悪いことしたかなぁ。 

 無事に関所を打ち終え、KさんSさんとも再会し山門近くの食堂でうどんを食する。
 立江川を渡り、果物の直販所でお茶とお菓子の接待を頂き、(渡した納札をお子さんに自慢されていた。)勝浦川に向かってだらだらと下っていく。

 途中、左手にある沼江大師(胎蔵寺)に参拝。住職さんとしばらくお話しし、お経まであげていただいてしまった。歩きでも立ち寄る遍路はあまり多くないそうだ。高野山真言宗のお寺でも札所じゃないと静かな雰囲気に包まれている。
 だいぶゆっくりしていたら少し陽が傾いていた。今日の宿まではあと4km。少し疲れてきた。

 勝浦川の流れを右に見ているうちに陽が暮れてしまった。生名で旧道に入り、山裾のある民宿金子やさんに到着。KさんSさんはとっくに着いていた。
 広々とした湯で足を伸ばし、夕食を頂いて今日も熟睡。本日32,166歩。


沼江大師
通算7日め 12.10.08

鶴林寺へ
 遍路7日めにして初めて雨音で目覚めた。金剛杖の上部をビニール袋で包んだ。
 バス停から山道へと向かうと幸い曇り空となったので、合羽を脱いで歩く。
 細い川から離れ徐々に高度を増していく。最初はコンクリートの急坂、続いて階段と、湿った木々のなかを汗をふきつつ登っていくと、鶴の木像が鎮座まします山門にたどり着いた。
 だめ押しの石段を登ると第20番鶴林寺の本堂。本堂前の2羽の鶴を眺めながら一休み。

 下りは宿坊脇から直接階段を下りていく。上りもきついが、下りもきつい。滑らぬように気をつかう。那賀川の谷向こうに太龍寺のある山塊がそびえる。
 山を下り、水井橋を渡る。深山のわりに川原が広く、振り返ればはるか上方に鶴林寺が見えた。しばらくはハイキング気分。しかし、階段を一段ずつ進んでいくに従って息もたえだえ。焼山寺道と同様、つづら折りの角ごとに息を整えながらの急登となった。

 民宿金子やを7時半に発って鶴林寺に9時、第21番太龍寺には12時の到着となった。3日間、つかず離れず苦楽を共にしたKさんSさんは太龍寺を区切りとし、ロープウェイで下山されるとのこと。伽藍の前で記念写真となった。またご一緒したいですね。

太龍
 道のりがきつかった分、念入りにお参り。
 本坊の天井に描かれた龍の絵を感心して見ている振りをしながら休憩。はるか遠くに見える海に残る行程を思い出し,太龍寺を後にした。

 再び降り出した雨の中、車道を下って国道を横断し、、大根峠へと向かう。
 蛇が足音に驚いて逃げていった。蝮って見たことないし、他の蛇も殆ど見たことないので蝮か否かわからない。杖で前方をたたきながら草道を進む。

 4時半に第22番平等寺の山門をくぐった。
 猫がくつろいでいる納経所で、お参りより先に御朱印を捺してくれると言う。後先逆のような気もしたけど、お参りを終えるとちょうど5時。みれば時間厳守で納経所の扉は閉ざされていた。なるほど先に納経してもらって良かったと思った。

 今日の宿は近くに見つからず、邪道ながら新野駅からJRで由岐駅へ移動し、橋本屋旅館へ。
 雨の中、由岐駅まで迎えに来てくれた。今日は35,347歩。

通算8日め 12.10.09
 夜半から風が強くガラス窓を揺らし、あまり熟睡できなかった。でも雨雲は流れていったようで青空ものぞいている。
 由岐から海岸線に沿って牟岐に向かわれるという横浜のKさんとお別れし、列車で平等寺まで戻る。Kさん、大願成就されますように。(後日、40日で結願されたとの手紙を頂いた。さすが健脚ですね。)

 桑野川を工事のため迂回して渡り、水田のなか一本道を進む。と、はるか先のわんちゃんと眼があった。尻尾を振ってこっちに走ってくる。旧知の間柄のようにじゃれあったけど、水たまりを気にしないわんちゃんに、白衣は足形でいっぱいになっちゃった。

 御水庵から竹林のなか車道を歩き、鉦打から国道55号線の長い歩道歩きとなる。室戸を周り高知までの長いお付き合いの始まりである。

鉦打
 次々に追い越していく車を別次元のもののように感じながら、淡々と坂を上る。星越トンネルを抜けると右手に茶屋が見えた。昼前なれど、うどんを頂くこととした。
 聞けば古くから茶屋を営まれているとのことで、もしかしたらおじいちゃんも休んだかもしれない。壁の額に飾られた昔の納札を拝見しながら、そう思った。
 熱いコーヒーを頂く。ノートに記帳し、納札を挟んで出発。再び淡々と日和佐を目指す。

 川を渡り、コンビニを過ぎれば第23番薬王寺はもう目の前。小銭の置かれている石段を登り、町を見おろす高台にある本堂と大師堂に到着。お金を踏まないようにここまで登るのは大変。

 ここまで今日は29,106歩。今回はここを区切りとし、東京へ戻ることとする。
日和佐駅のトイレを拝借し遍路姿を解いた自分は妙に寂しく、早くも次の遍路行を考えながら徳島行き特急のシートに背を預けた。

路傍の不動堂
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