区切り打ち その4 26番金剛頂寺から30番善楽寺まで 12年12月07日〜10日 |
通算13日め | 12.12.07 |
吉良川 |
今回の区切り打ちは、高知空港に入り、バスで前回区切りとした金剛頂寺へ戻り、高知市内まで進むという行程。というわけでの土佐電バスの車窓から、これから4日間をかけて歩くであろう道のりを眺めることとなった。これをずーっと歩くんだ、遠いなぁ。 元橋で下車し、四畳半ほどのバス停で遍路に変身。バス停の壁には一夜の御礼であろう数々の納札が貼られている。知ってる人がいるかと思ったけど、わからなかった。 遍路道を先月同様に登り、金剛頂寺大師堂にご挨拶。納経所で宝物殿のことをお尋ねしたが、前もってお願いしておく必要があるそうで、またの機会の楽しみとする。 少し秋の気配が深まったような気もするが、東京の12月と全然違って初冬なんて雰囲気はぜーんぜん無い。思った以上に暖か。 国道に並行する旧道を歩き、東の川橋を渡ると吉良川の町。今回は羽田発が10時45分と遅い時間だったため、殆ど移動日状態で、既に陽が落ちてしまった。 民宿ホワードさんは素泊まりなので、国道沿いのスーパーで夕食、朝食を仕入れる。 17時30分到着。今日は僕1人だけ。のんびり湯をいただき早めに就寝。わずか7994歩。 |
通算14日め | 12.12.08 |
少し明るくなるのを待って7時30分に出発。朝はお互い忙しいからと宿代3500円を前払いさせてもらっていたので、挨拶しないで出発。本業の洋品店を営んでいるので、素泊まりのみとおばさんが言ってた。歩きの行程からすると、たとえ食事が無くても同じ吉良川にある旅館とともに貴重な存在。 今朝もしばらく登校途中の小学生に混じって歩き、西の川を渡って国道を進む。 暖かく朝から長袖シャツだけ。羽根病院前を過ぎ中山越えの旧道へ。 途中、地元の方から「わざわざ山越えるの?」と聞かれ、山道の入り口がわかりにくいから、配達のついでだから、と案内して下さった。途中にあるご自宅(お肉屋さん)に招かれ、しばし雑談。お守りにと金のお札を頂いた。 ヤクルトを配る途中だと言いながら、僕の歩くペースに合わせてくれて市営住宅脇の山道入口まで案内してくれた。おかげさまで迷わなくて済みました。 迂回する車道を串刺しして遍路道を登り、海のすぐ横とは思えぬ霊気漂うような?深山幽谷も少しあって、雰囲気のいい山越え。 加領郷で再び国道に合流し、海岸縁に建つ弘法大師霊跡に参拝。岩場でおばあちゃんが貝を採っていた。「昔は大きなのが採れたんだけどねー」 しばらく単調に海沿いを歩く。国道歩きは単調。 奈半利川橋を渡り、手のひら遍路石の角から田野の町を進む。ラーメン豚太郎を見つけ昼食。 |
田野町 |
旧道から安田川大橋を渡ってしばらく歩くと神峯神社の鳥居に到着。正面の山の頂近くに見えるのが神峯寺。道はやがて勾配がきつくなるり、さらに「まっ縦」と称される遍路道は途中から左に入る。覚悟を決めていたせいか、山道として特別きついとは思わなかった。 つづら折りを上り詰め、迂回してきた車道と再び合流。第27番神峯寺に15時到着。 納経所正面のベンチにリュックを置かしてもらい、本堂への階段を登る。(あとでリュックを置きっぱなしにするのは最近危ないといろんな方から教わった。) 本堂では講の方々が声高く読経していたので先に新しい大師堂に参拝。その後、入れ違うように本堂にお参りしてから神峯神社に登る。細い山道を登ると社務所前。さらに階段を登り詰めて社殿に参拝した。納経所まで戻り、しばらく休憩。 木々の間から洋上に沈む夕日を見ながら「まっ縦」を下る。車道に出たあたりで夕闇になった。ちょっとゆっくりしすぎたかな。 十字路の角に浜吉屋さんを確認。300mほど西にある酒屋さんで煙草を確保してから17時30分に投宿。今日は39797歩。 |
まっ縦へ |
通算15日め | 12.12.09 |
海沿いに |
冬至が間近くなると起きるのがさらに遅くなる。というわけで7時に朝食をいただき7時30分に出発。 浜吉屋さんからしばらく旧道を西に歩き、国道に合流してからは淡々と歩道歩き。 やがて道は間近に波音を聞くようになり、大山岬を回り込むように進む。 岬の先の休憩所で遍路さんに出会い、しばらく一緒に歩かせてもらうことになった。 伊尾木では石材屋さんが遍路休憩所を造っていてくれて、ありがたく休憩させていただく。 南の島から来て野宿でまわっておられるというHさんと安芸のバスセンター前で10時のお茶休憩をとり、夜須まで国道と並行する自転車道を二人で進む。春まで時間をかけて廻られると言うHさんから、歩くに際して注意したほうがいいことや、この先の宿情報などいろいろ教えていただいた。考えてみたら長時間どなたかと話しながら一緒に歩くのは四国で今日が初めて。Hさん、いろいろありがとうございました。 八流まで来たところで番外さんにお参りするためHさんと別れる。左へ入り八流山極楽寺へ。 |
はるか先まで |
境内からは太平洋が眼下に望めた。お参りのあと納経をお願いしたら、表紙に「京都・東寺」と金色に押印してある僕の納経帳を見て「もったいなくて書けない」と言われてしまった。しばし押し問答の末、別の紙に御朱印をいただくことで決着。 八流からは芸西、夜須へ続く砂浜が一望のもとに見える。今日の宿がある手結山が遠くに見える。もちろん、今後進む西土佐や足摺岬は見える筈もないけれど、この砂浜のはるか彼方までの膨大な距離数に少し気が弱くなった。 気を取り直し、砂浜と建設中の土佐線に挟まれた松林に沿って西に進む。車の往来のない自転車道なので気分的にもペースが上がるような気がする。芸西村が終わる頃に国道に合流。国道を進んだHさんと再会する。Hさんはこの先、夜須の休憩所で野宿するそうで、手結のトンネルで別れる。 トンネル手前から手結山に入る道を登り、海岸崖上にある国民宿舎海風荘に17時到着。チェックインする前に建物の裏手にまわり、たぶん見納めになるであろう、土佐の海に沈む夕陽を眺めた。(後から考えたら三十五番さん付近からも海に沈む夕陽が見れた。)今日は35548歩。 |
通算16日め | 12.12.10 |
出発の用意をしていると雨が降り出した。 しばらくぐずぐずしていたが観念し雨具を着込んで出発。国民宿舎の方が外まで見送ってくれた。昨日登ってきた道の途中から山の斜面を下って国道へ。夜須の休憩所でHさんが待っていてくれた。一緒に歩道を進み香我美町で旧道へ。自衛隊駐屯地を右手に見て赤岡町そして野市町へ。再び国道の歩道を進む。雨は相変わらず強くもならず弱くもならず、菅笠から雫が垂れる。Hさんは高知駅方面に向かうということで、野市町役場近くの分岐でお別れすることになる。わずか1日とちょっとご一緒出来ただけなのに分岐が近づくにつれちょっと辛くなる。 とは言ってもやがて分岐点に到達。今後の良き遍路行を祈ってHさんと別れ大日寺へと進む。またどこかで再会できるかな。 野市の商店街を抜け、自動車登り口の手前から石段を登って第28番大日寺。紅葉と白壁のコントラストが綺麗だった。ちょっと奥にある爪彫薬師堂にお参りしたあと、トイレを拝借。でも貼紙に「事情により紙は置いていません、必要な時は納経所まで」 もし風雲急を告げる事態に陥っていて、手持ちの紙が無いなんて場合、へたり込んじゃうかもしれないな。事情ってなんだろ? |
大日寺 |
物部川にかかる橋を渡って、のどかな野を進む。小さな橋が工事通行止めになっていたけど、お休みのようだったので、失礼して渡る。県道に出る頃には雨も上がって陽が差してきた。 第29番国分寺へは大日寺から所要3時間、14時30分に到着。 苔の緑がとても綺麗な国分寺から畦道を進む。振り返るとこんもりとした国分寺の木立が印象的だった。しばらくそのまま進み国道を地下道でくぐって山道へ。 近くの団地から縦笛が聞こえる。Hey Judeの合奏。ここ数日Imagineも良く耳にした。縦笛でLennon&McCartneyなんてどうしたんだろうと思ったけど、一昨日がJohnの命日(没後20年)だったことに気づいた。Beatlesを耳にすると遍路道がまぶたに浮かぶという妙な条件反射がここで成立。 峠を越えて高知市に入り、墓苑の脇を下って県道をショートカット。16時20分に第30番善楽寺へ到着した。今日はここまで36419歩。 お参りを済ませトイレ脇を借りて白装束を解く。良い4日間の遍路行に感謝しつつ、土佐一宮の参道を駅に向かって歩き始める。約20分で土佐一宮駅。電車で高知まで出て連絡バスで空港に向かうことにする。高知駅に降り立つと久しぶりの人の波。ちょっととまどいながらバスの人となり空港へ向かった。 |
善楽寺へ |
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