区切り打ち その5-1 30番善楽寺から大方町まで 12年12月28日〜13年1月1日 |
通算17日め | 12.12.28 |
下田川沿い |
年末年始に有給休暇を加え、10日間連続で歩けることになった。 高知空港からの連絡バスを途中で下車し、善楽寺のトイレを借用して遍路姿に変身。 お寺の庭に葉牡丹が植えられ、お正月の準備が整いつつある感じがした。 一宮神社の参道を経てJRの高架をくぐると正面に五台山の山々が見えてくる。 坂を登り、牧野植物園へ。遍路道を見失ってきょろきょろ。立て札を見つけ園内を抜けて、第31番竹林寺に参拝。 除夜の鐘を生中継するらしく、山門や境内では投光器や撮影機材の準備作業をしていた。 遍路道で山を下る。石畳が苔や浮き石で滑りやすい。交通量の多い道路を避け、下田川南側の道を歩く。 川面に浮かぶ水鳥に眼を休めながら進み、トンネルを抜けると禅師峰寺の山が見えた。葦のそよぐ石土池に沿って進み、遍路道の登り口に到着。やっぱり高知は暖かい。年の暮れだというのに厚手の長袖シャツだけでも汗を少しかいた。 第32番札所禅師峰寺、ほぼ1年前に車でお四国を回った時の最初のお寺。今度は自分の足でまた来ることが出来た。ちょっと感慨深げ。 |
渡し |
石段を登り参拝。境内からは久しぶりに太平洋が望めた。 納経所で、浦戸湾の渡しの時間を尋ねる。20時15分まであると教えていただき、ひと安心。のんびりと歩くことにする。 途中で女性に声をかけられる。「私も納経所を手伝ってる」 聞けばシルバー人材センターで紹介されたとのこと。「梵字の練習には3日かかった。」とか「私自身は立正佼正会なんだけどね」とか聞くとちょっと考えさせられる。 そう言えば、ある寺に団体遍路一行が到着したときに、「またいっぱい来た」と舌打ちしているのに遭遇したことがあったっけ。 閑話休題。 種崎の渡船待合所に到着。あいにく30分おきの渡しが出たところだったので、17時15分までぼんやり待つことにした。乗客は軽自動車2台、自転車2台、おとな2人そして遍路1名。 18時に高知屋さんに到着。客は僕だけだった。雪蹊寺に面する部屋に通され、洗濯のお接待をいただく。夕食はボリュームたっぷりの鰹のたたきがメイン。 今回の区切り打ちはすごく幸せな食事から始まったのでした。今日は28235歩 |
通算18日め | 12.12.29 |
部屋のカーテンを開けると窓ガラス越しに第33番雪蹊寺の境内。 7時30分に出発し、納経所の女性と雑談。御歳80歳とのことだがお元気。 寺を出て小さな峠を越え春野町に。ビニールハウスの並ぶ農道から県道へと進むと、雪蹊寺から2時間弱で第34番種間寺。広い駐車場も年末の朝とあって車は止まっていない。道後温泉風の庫裏横を抜け、縦長の境内でお参り。横浜からという歩きのご夫妻と出会う。お聞きすれば僕とほぼ同行程。 少し休んでから種間寺を出発、西へ進む。石橋が風情ある春野町を抜け、仁淀川に沿って歩いていると、鈴の音を聞きつけたわんちゃんが遊びに出てきた。しばし交遊を深める。 仁淀川大橋からは、これから向かう清滝寺を有する山々が見えた。まだ遠い。 堤防から高岡の街に入る。商店街を歩くのは久しぶりのような気がする。 三島神社脇抜けると、区画整理や高速道路で遍路道がわかりにくい。記憶を頼りに見当つけて進んでいく。やがて車道と別れ、八丁坂の登り道に。みかん畑のなかを登っていく。 第35番清滝寺、海抜150mとのことで、境内からは歩いてきた吾南平野と、これから向かう宇佐の海が横瀬山越しに見える。参拝を済ませ、納経の墨が乾く間しばらく休憩とする。 |
清瀧寺へ |
14時に山を下り始める。来たときと同じ道を戻って高岡の街へ。 道沿いのたこ焼き屋さんで本日の昼食とする。1パック300円也。 だらだらと登り坂を進み塚地トンネルが近づいたところで峠へと右に折れる。 「トンネルができたから、まっすぐ行った方が楽だし早いよ」と地元の方から声をかけられた。そう言えば少し古いガイドブックではトンネルが書いてなかったっけ・・・。 落ち葉を踏みしめ登っていく雰囲気のいい遍路道。峠からの眺望はなかったけど、宇佐側の下り道では木々の間から宇佐の海や横浪半島が見え隠れし気分がいい。 宇佐の街を過ぎ、漁港の先から850m続く宇佐大橋を渡る。12月は陽の暮れるのが早い。橋を渡り終え、海沿いのレストエリアで休憩していると、越えてきた塚地峠の山と藍色の空の区別がつかなくなり、宇佐の街灯りが海面に反射するようになった。 腰をあげ、遊歩道めいた歩道が右にカーブすると今日の宿、三陽荘が見えた。17時30分到着。 綺麗な建物で、廊下には古い納札や遍路資料などが飾られており、更には金色のお大師さんもまつられていてびっくり。海に面した快適な部屋でくつろぐ。今日は41927歩。 |
塚地峠 |
通算19日め | 12.12.30 |
横波三里 |
今日も7時30分に出発。すてきな宿でした。 宿を右に出ると青龍寺への参道入り口、山裾をめぐる雰囲気のいい参道となった。右側の路傍には数多くの石仏が並んでいる。どれもお正月を前に赤や青の前掛けを新調してもらっている。 大日如来さん、お薬師さん、お不動さんと刻まれた石仏を追っているうちに第36番青龍寺の山門下に到着。石段を登りつめた朝の本堂は静かだった。 宇佐までは来た道を戻り、横浪三里と呼ばれる内海に沿って進むが、これがなかなか。 幾重にも折り畳まれたような入り江に沿って歩いて行く。歩いた距離に比べ直線距離ではちっとも進んでいない。横浪三里を縦断する市営の巡航船にちょっと誘惑されたけど頑張って歩く。 立目という集落でぽんかんのお接待を頂いた。「ぽんかんの里」とかかれた看板が出ていた。 横浪まで来ると鳥坂トンネル方面と佛坂方面の分岐点。ここは佛坂方面への右道を選び、林道を進んでから、さらに遍路道へと分け入る。さほどの山越えでもなく、時期的にも枯葉歩きで快調。峠を過ぎた先でほとんど崖を降りるようにして岩不動に到着。鈴を鳴らしながら庫裏脇に降りていくと中から住職さんが笑顔で迎えてくれた。 |
佛坂へ |
ここからはだらだらと里山歩き。やがて鳥坂トンネル経由の道と合流して須崎の街に到着。 さすがに車、人ともに多い国道56号線を歩く。お昼を食べていなかったのでモスバーガーで休憩。阿波の観音寺以来ひさびさ。 須崎警察署を過ぎ、トンネル手前の交差点で街中へと折れていくと番外札所大善寺に着いた。 石段を登っていくと、その昔は土佐の親不知と呼ばれたという海を見つめるお大師さんの像。 本堂に上がらせていただいてお参り。 ふたたび国道に戻り、バイパスとの合流点に道の駅「かわうその里すさき」がある。 綺麗なトイレや休憩するところが完備されているので立ち寄ろうと思って歩いてきたけれども、駐車場の盛況ぶりを見ると自分の白装束がちょっと気になる。眺めながら前を素通りして今日の宿を目指すことにする。 国道はやがて須崎の街を見下ろすように坂を上って山あいへ。トンネルを抜け安和の街に着いた時、ちょうど陽が暮れた。 今晩は民宿あわにお世話になる。17時20分着。同宿はゴルフコンペのグループさんでお遍路さんは僕だけ。少し早めに休むことにする。今日は43546歩。 |
通算20日め | 12.12.31 |
「焼坂峠って足場大丈夫ですか? そえみみずって今の時期通れるんですか?」 だって愛読書と化した遍路紀行本のなかには、通過困難って紹介しているものもあったから。 民宿「あわ」のおばさんの答えは、「四国で一二を争うほど雰囲気良い遍路道と評判」 というわけで空模様を気にしつつも土讃線沿いの遍路道へ。登り始めてすぐ、鎖場が現れちょっと脅かされたけど、急登したあとは確かに雰囲気のよい枯葉歩きが続く。 久礼の街手前、酒屋さんの三叉路で道標に従い谷あいへと進む。右崖を登る小径に「そえみみず」の石柱。遍路道の始まり方が急登っぽいので少々気を引き締め登り始めた。そして驚いた。草刈り行事(布施修行)に参加された方のお名前が年度ごとに掲げられており、道といえば枝葉は綺麗に取り除かれ、実に快適な林間の道。「四国の道」に選定されていないこの遍路道を気持ちよく歩かせていただけるのも、様々な方のおかげがあってのこと。おもわず感謝しながら歩く。 七子峠で国道に復帰。手打ちうどんの看板を見つけ昼食。 お腹も満足し、しばらくはたんたんと歩く。2時間ほど過ぎると道の駅。ここまで来れば今日の目的地、岩本寺まで1時間弱。四阿もあったので缶コーヒーを購入ししばらく足を休める。 |
焼坂峠へ |
国道から右にそれ、トンネルを抜けて窪川の街に入り、第37番岩本寺に16時15分到着。 今日は大晦日、となると今年最後のお参りというわけで、いつもよりちょっと念入りに参拝。 今回の遍路行で宿坊に泊めてもらえたのは、岩本寺がはじめて。今まで「一人の方はちょっと」とか「春秋しかやってない」とか宿坊には縁がなかった。ただし今日は大晦日なので夕方も明朝もお勤めはなし。横浜のご夫妻ともご一緒となる。 部屋は8畳の個室。大風呂で体を休め、18時から夕食をいただき、想像以上の快適さのなか今日は早めに就寝とする。 今日は37862歩。 と寝ようとしたが23時前から除夜の鐘。鐘を突くための整理券108枚が事前に配られており、番号を呼び出したときに現れないと欠番待ちの人に突かせてくれるらしい。 行こ! フリースを着込み宿坊から飛び出す。どこかで打ち上げ花火の音も聞こえる。 列は数人しか並んでいなかった。10分ほど待っていると、鐘楼に招かれた。73番の鐘。 「いち、にぃ、さんで突いて合掌ですよ」と教えてもらいゴーン! 記念のお守りを頂き、境内で振舞い酒をご馳走になり平成12年が締めくくられた。合掌 |
除夜の鐘 |
通算21日め | 13.01.01 |
通らせていただきます |
新しい年を札所で迎えた。宿坊の朝食はお屠蘇とお雑煮付きだった。新年のお参り(初詣?)をちょっと念入りにして8時15分に出発。元旦早朝の境内は昨晩の賑わいが夢のように静まり返っていた。 それにしてもめちゃ空気が冷たい。温度計を見ると0℃。誰かが「窪川は標高あるから冷えるよ」って言ってたっけ。リュックから初めて手袋を取り出した。 窪川の街からゆるゆると国道の坂を登り、峠の手前から遍路道に入る。やがて窪川町環境美化センター(つまり清掃工場?)で行き止まり、そのフェンスには「お遍路さんへ、右の扉を開けてお通り下さい」の案内板。開発や土地の売買により遍路道が寸断され、迂回を余儀なくされる区間も多いなか、公共施設の粋な計らいに正月早々合掌したくなる。 センターを抜け、山道に入ると「片坂」の名を納得するような、きつい下り坂。雨の日は滝のごとく水が流れそうな急坂を、崖を下るように降りた。窪川が標高ある場所に位置していたことを体感。市野瀬から川を挟んで国道と並行に里道を歩くが、ところどころ薄氷が張っている。 |
土佐佐賀 |
やがて国道に合流、伊与喜から旧道に入り明治38年完成という熊井トンネルを抜ける。「当時、1個1銭の手間賃で佐賀港から小学生が煉瓦を運んだ」とか。 今朝、横浜のご夫妻から「旧道を行かず国道を行けばコンビニがある」と教えていただいていたのに忘れていた。旧道を通ったために昼食を買うお店に出会わない。 今日は元旦、他に店があっても休みの可能性大。昼を過ぎ、少し空腹感を感じながら佐賀の町を抜けると青い海に出た。めちゃくちゃ澄んだ海。 海沿いに庄寿庵といううどん屋さんを見つけ昼食。天ぷらうどん700円。 この佐賀町から大方町にかけては海がとても綺麗で、最高の気分で歩けた。 井の岬トンネルを抜け、井田まで来ると遙か遠くに岬らしきものが見えた。もしかして足摺岬だろうか。だとするとやっぱり相当遠いな。 17時に民宿みやこ着。岬のことを聞いたら「皆そう思うらしいけど、足摺岬はもっと先でここからは見えない」と教えられた。やっぱり相当遠いな。 みやこさんは1階がスナック。ビロード貼りのふかふか椅子で夕食を頂く。鰹、蟹、海老の豪華版。 天気にも景色にも恵まれ、良い元旦。今日は42475歩。 |
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