go to top 区切り打ち その5-2
大方町から40番観自在寺まで

13年1月2日〜13年1月6日

通算22日め 13.01.02

四万十大橋
 お雑煮付きの朝食を頂いて7時40分出発。入野松原にはサーファーが多く来ていた。
 砂浜と松林を抜け(途中で道を見失った)、田ノ浦の集落で煙草を買い求めた。
 一人で歩いているのかと問われ、頷くと「お大師さまが一緒にいてくれるから決して一人歩きじゃないよ、頑張ってね」と言われ、バナナ一房を接待して頂いた。すごく元気が出た。

 四万十川を渡るルートが気になっていた。「昔は渡しがあった」なんて過去形で紹介している本もあったりして、その真偽や時間の情報が出発までに手に入らなかったから。
 双海まで進んだところで、電話をかけて聞いてみた。「おじいちゃんは正月3ケ日、渡しを休んでる」と家の方に言われた。個人で渡しを守っておられる(引き継いでいる)って感じが滲み出ていて、ちょっと感動。渡船は諦め、双海より右の道をとり、橋で四万十川を渡ることにする。

 四万十川を渡ると、いよいよ足摺さんの領域に辿り着いたような気分になる。堤防に沿って歩き、渡し船が着く初崎からの道が合流する付近まで来たら、なぜか突然に涙腺が弱くなった。思いがけず自分でもびっくり。自分でも少し困惑したけど、心の中で何かが共鳴したように思った。

真念庵
 伊豆田トンネル1620m、通過に約20分を要し土佐清水市へ。市野瀬から真念庵に向かう。真念庵は無住。雑貨屋さんにお邪魔して納経とお話を伺った。
 昔、伊豆田トンネルが抜けるまでは番外さんとして賑わっていたとのこと。祖父母が中村から足摺まで3日かかったと話していたらしいけど、峠越えだと確かにかかると納得。同じ歩き遍路でも今は楽してるんだなぁ。(納経に日本第一霊場って書いてあったけどいわれを伺うのを忘れた。誰か知ってますか?)

 途中で大判焼きを頬張り遅い昼食とし、川沿いに歩いていると一台の車が泊まって声をかけられた。「お遍路さん、宿はありますか」、下の加江にお願いしていると答えると、その民宿「安宿」の息子さんだった。感謝しつつも辞退申し上げ、車の後を追って宿を目指す。
結局17時着。横浜ご夫妻もすでに到着されていた。

 宿のおやじさんは、いかにも土佐って感じの親切かつ飾り気のない感じ。足摺さん往復の注意事項や、そのあと宿毛への向かい方など親切に教えてくれた。今日は四万十川を越えたことで、精神的にも少しひと安心。明日はいよいよ足摺岬。  今日は40431歩。

通算23日め 13.01.03
 朝7時に下の加江を出発。夜明け前、はじめてフリースを羽織る。
 海に沿って歩いていくと陽が昇ってきた。久百々まで進み、フリースを脱ぐ。この時期、日中は快適。靴の中も蒸れないのでマメもできない。ベストシーズンのような気がする。

 1時間少しで大岐の浜に到着。国道から崖を下り砂浜を歩く。考えてみると長い遍路道のなかで「道」以外を歩くのはここ大岐の浜だけだろう。波打ち際を歩き出したが、アスファルトに慣れた足に砂浜はやはり重い。波で湿った砂のほうが歩きやすいかな、枯れた草の上を伝ったほうが歩きやすいかな。じぐさぐしながらいろいろ試みた。(結局は防波堤の上が一番歩きやすかった。)

 「雨が続くと腰までの深さになる」という砂浜終点側の川は、このところの晴天で干上がっていた。靴を脱ぎ、裸足になるくらいは覚悟していたけど大丈夫。再び崖をよじ登ってアスファルト歩きに復帰する。以布利から再び遍路道へ。漁港前の自販機で缶ジュースを買い休憩。正月休みらしく大漁旗をつけた漁船が港いっぱいに係留されていた。
 磯伝いに歩いていくと横浜ご夫妻と合流。お正月休み中、ずっと付かず離れずのご縁である。

 やがて鬱蒼と繁った木々の間を進むようになったが、南国らしくちょっとした密林で、海岸沿いとは思えぬ雰囲気。ちょっとした霊気・・・。

大岐の浜
 再び窪津まで海岸線に沿って進む。平日なら食事ポイントになるという窪津の漁協直販所も今日はお休み。安宿でお弁当を持たせてもらって正解でした。
 窪津からは海岸線を離れる。津呂を過ぎ、この先にいよいよ足摺岬があると思うと気合いが入る。

 と思ったのもつかの間、「足摺岬2km」の標識を見た途端に安心して足の力が抜けた。お腹まで鳴り始める。海を見渡せる道端で急遽ランチタイムとする。横浜ご夫妻とも再会し、最南端到達直前で休憩。

 岬の手前で遍路道へと折れると、そのまま遊歩道に合流。せっかくなので展望台へ寄り道すると、白亜の灯台が断崖の先端に見えた。ついに足摺岬までたどり着けたことを実感。振り返れば木々の中に金剛福寺の多宝塔。14時に第38番金剛福寺。山門前はお正月らしく屋台が並んでいて賑わっている。初詣の人々に混じってお参りをする。3日ぶり・・・。納経所の中では今日もわんちゃんが甘え顔をしていた。

 この日の宿は民宿八扇さん。前評判どおりのご馳走をいただき、霊山寺からの道のりを思い出しながら早めに就寝。今日は33950歩。


足摺岬
通算24日め 13.01.04

土佐清水へ
 日の出を見に行く。ポイントはいくつかあるようで、検討の結果、灯台下に行くことにした。
 行ってみると展望台と違って人も少なく、良いポイントだったが残念ながら水平線上わずかに雲が横たわり、海から昇るお日様は拝めなかった。

 金剛福寺へ朝のお参り。早朝とあって他に人は見あたらず静かなお参りが出来た。
 しかし、山門でお辞儀をして振り返ると駐車場には到着したばかりの大型バス数台、さらに旅館街方向から続々と観光バスがやってくる。少しの差でごった返すところでした。
 民宿に戻り、リュックを担いで9時出発。西海岸をまわって下の加江まで打ち戻ることにする。

 左に海を見ながら歩いているとフェリーに追い越された。昨晩大阪を発ち、未明に甲浦に立ち寄ったフェリーが、土佐清水を前にして僕を追い抜いていった。船も早いもんだなぁ。中浜が近づいて岬を回り込むと北西の風がまともに吹き付けてきた。
 横から吹くとよろけそうになり、向かい風になると踏ん張るのが精一杯で足が前に進まない。それでもなんとか中の浜の集落まで到着。小さな川に沿った道から墓地を通って遍路道へ。
山を越える道には、この時期でも広葉樹が繁っていて、さすが南国といったところか。

中之浜
 土佐清水の町に降り立ち、スーパーサニーマートでおにぎりを購入。何日ぶりかの大型スーパーは巨大ショッピングモールのように感じた。

 土佐清水からさらに西海岸を進み、益野から峠を越えて三原村で泊まろうと計画を練っていたが、電話で聞いたら三原村にあった庄助旅館は営業していないとのこと。行程をいろいろ比較し、今回は下の加江打戻りコースを選択することにした。このため土佐清水から以布利方面へと交差点を右折し、低い峠を越える。峠の以布利トンネルは歩道が無く、正月で大型車の少ないのが幸運だった。

 以布利からは昨日歩いてきた道を打ち戻る。途中の民宿星空の前を通り過ぎようとしたとき、声をかけていただき、上がり込んでコーヒーのお接待を頂く。ごちそうさまでした。
 大岐の浜まで戻ったところで、水平線を眺めながら少し遅い昼食とする。
 次々と新しい場面が訪れる遍路行のなかで、打戻りという行為はちょっと異質。覚えのある風景のなかを戻っていくために安心感というか気楽さがあった。
 目的地までの所要時間も、残る距離に記憶している道の勾配を係数としてかけて大体算出できる。というわけで適宜休憩をはさみ、下の加江の民宿安宿に17時ちょうどに到着。32744歩。

通算25日め 13.01.05
 今日は宿毛まで約40kmの予定。7時15分に安宿を発つ。お陽様はまだ山の陰。気温0℃。谷あいの舗装路を三原村へと進む。川に沿ってゆるゆると、うねうねと道は続く。ところどころに凍った水溜まり。

 緩い峠に「三原村」の標識。下りも坂とは意識しない程度の道で歩きやすい。
 途中で遍路さんに出会う。しばらくご一緒し、大きなたぶの木の前の商店で缶ジュース購入し休憩。長崎のHさんは今日は平田の駅に泊まられるとのこと。

 道はいつのまにか立派な県道に。想像していた山道と違い、開けた田の中を進む。宿泊叶わなかった庄助旅館前を過ぎスーパーでお弁当を購入。
 切り通しがあった。「船ケ峠」。峠という感じはしなかったけど、確かにこの先は高原状の三原村から下る一方となる。
 牛が放牧されていたりして今までになかった風景。途中でダムによる付け替え道路なのか立派なトンネルを越えたところにダム公園を発見。資料館を兼ねた四阿でお弁当タイムとする。

三原村へ
  公園からは再び下る一方、勾配も結構なものとなる。
 忘れ去られたかのような稲荷大明神から旧道に入り平田へ。高架のくろしお鉄道をくぐって国道56号に出た。

 何日かぶりの幹線道路、大型車の風圧と排気ガスがひどく気になった。いつも慢性化していたんだろうな。歩道も出入り口のたびに小さな上り下りを強制され、おまけに歩道が右にあったり左にあったり。足摺岬という補陀落の場所から国道56号という現世に戻ってきたことが嫌でも体感できた。
 それでも20分ほど歩いて寺の入り口まで辿り着く。第39番延光寺
約9時間を要し16時に山門をくぐると、山号のとおり亀さんが迎えてくれた。

 お参りを済ませ、国道まで同じ道を戻って宿毛の町をめざす。殆ど下るのみの緩い坂。市の中心部に入り、郵便局前の地図看板で宿を探していると、車で通りかかった方がわざわざ車を停めて教えて下さった。教えていただいたとおりに進み今日の宿「ビジネスホテル上村」に19時15分到着。

 今回の遍路行最後の宿は初めての洋室シングルルーム。余談ながらホテルに泊まると、民宿と違って時間の管理が自己責任。ついTVなどを見てしまい夜更かしするのが悪い癖。
今日は52010歩。今までで一番歩いた。


赤亀
通算26日め 13.01.06

松尾峠
 お正月8日間区切り打ちの最終日になってしまった。今回は延光寺を目標としていたが、観自在寺まで進むことにした。帰京は高知空港からなので、時刻表を調べ、朝6時に宿を発つた。
 ビジネスホテルの隣のコンビニで、今日必要なもの以外を宅急便にして自宅へ送ることにした。だって安宿の親父さん、途中であった人、ホテルのフロントの人、みんな口を揃えて「松尾峠はきついから国道行った方が楽だよ」って言ってたから。

 暗くて道標がわからないが、見当をつけて松尾峠に向かう。ミカン畑を抜けて登り始める頃にはに明るくなった。石畳の残る急登を越え、8時10分に松尾峠到着。眼下には土佐とは明らかに違う穏やかな宇和海が広がっている。忠告されたほど厳しい峠道でもなく、素敵なルートであった。
 峠を下り、弓張、札掛と由緒ありげな名の集落を過ぎ、谷を渡り、竹林の綺麗な山道を進む。

 宿場町といった風情を感じさせる豊田を抜けると僧都川べりに出た。ジョギング中の女性が「頑張ってね」といってカロリーメイトのお接待。これ、嬉しい。
 堤防で一休みしようと思い、ふと見ると牛と目があった。なんでこんなところにいるのかな。

僧都川
 堤防を離れ、城辺の町に入って再び国道56号と合流。商店街の中を歩く。昨晩の宿毛が夜到着、早朝出発だったので、実感としては久しぶりの賑わいのある街。

 南宇和高校、御荘警察署を過ぎると、いよいよ第40番観自在寺。山門の奥に本堂が見えた。予定より少し早く12時30分到着。無事愛媛まで歩けたお礼を込め、ちょっと念入りにお参り。
 納経をお願いすると若い方が「歩きの人には是非住職が・・・」とおっしゃり、住職さん自らが筆をふるってくれた。

 しばらく境内で休憩し、そして綺麗なトイレを拝借し白装束を解いた。また早い機会にこの寺を訪れ、続きの歩きをしたいと思いながら宿毛行きのバスを待つ。乗車したバスは半日かけて歩いてきた道のりを遡り、当たり前だけどなんの苦労もなく宿毛駅前まで連れていってくれた。

 中村行き列車の発車時刻を確かめ駅前のレストランで昼食兼打ち上げ。宿毛からくろしお鉄道、中村で特急に乗り継ぎ、御免駅で下車。高知空港へと急ぎ、観自在寺から半日で東京の自宅の扉を開けた。しばらくは気持ちの切り替えが出来そうにない・・・。宿毛から観自在寺まで29210歩。
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