区切り打ち その6 40番観自在寺から十夜ケ橋まで 13年3月1日〜3月4日 |
通算27日め | 13.03.01 |
宇和島 |
弥生の声を聞いて区切り打ちを再開。前回は40番観自在寺で区切りとしたため、地図で見ると八十八ヶ所のなかで一番遠いお寺が今回の出発点となる。 東京羽田を7時ちょうどに飛び立ち、松山から予讃線の特急に乗車。宇和島から宿毛行きの宇和島バスを利用した。 宇和島駅には昼前にに到着。この駅は司馬遼太郎が「街道をゆく」のなかで「際涯」と表現していた日本の鉄道の果て。ホーム端の車止めを見ると「ここからお江戸は三百里」の実感が沸く。 12時5分発のバスは途中から高校生の下校ラッシュで立錐の余地もない。期末試験だろうか。それでも、やがて一人、また一人とバス停で降りていき、宇和海に沿って走る頃、制服姿は車内に見えなくなった。 御荘の街に入り、バス停札所前で下車。観自在寺の綺麗なトイレを再び借用し、しばらく振りのお遍路さんに復帰する。 お大師さんにさんにご挨拶してから納経所へ。ご宝印御守を買い求める。住職さんから寺でとれたというミカンのお菓子のお接待をいただいて歩き始める。今日は国道を3時間ほど進むだけ。 |
ご宝印 |
御荘湾に沿って歩いているうちは晴天だったが、八百坂にさしかかる頃から雲が多くなってきた。 しばらく山あいを進んでいくと室手海岸。宇和海が広がっている。 国道は「情報BOX設置工事」のため、あちこちで片側交互通行&歩道部通行止め。「どこ歩いたらいいでしょう」と尋ねると、丁寧に工事区間を誘導してくれた。そういえば、平等寺から室戸、そして高知へと55号線を歩いていた時も、あちらこちらで工事してたっけ。 今は3月、年度末。きっとこれで情報BOXなるものも四国一周埋め終わるんだろうな。中に光ケーブルが張られてネット社会の基盤となるんだろうな。そして、その上を歩き遍路が1200年前から同じように杖をついて歩くんだろうな。 さて、海が見えたことだし、宿もそう遠くないし、ということで崖上の空き地で休憩。真珠の養殖場(たぶん)に浮かぶ小舟を見ながらのんびりした。 宿は内海村の旭屋旅館さん。17時ちょうどに到着。新築増築後、間もないといった感じの、とても綺麗な旅館。一緒になった通しの遍路さんが「昨日から今日の昼まで強い雨だった。この旅館があんまり快適だったので出発せずに延泊した。」と言っていた。 おいしい食事を頂いたあと、部屋に戻ろうとすると「マッサージマットを自由に使って」と言われた。食堂の座敷で横になると、敷き布団が全身をマッサージしてくれる。実は今日あまり歩いてないけど、すごく快適。春遍路の初日の夜は、疲れもとれて快適な眠りとなった。今日は13972歩。 |
通算28日め | 13.03.02 |
7時30分に出発。旅館脇の柏川に沿って細い道を進み、途中の遍路石を吟味していたら、登校途中の小学生に大きな声で挨拶された。「お遍路さん、おはようございます」 民家の庭先より柏越えの山道に入る。柳水大師に四阿を見つけ、宿で一緒だった千葉我孫子のOさんと一緒に休憩をとる。地図で見るとここは標高450m、次の目標清水大師も450m、もう登りはなさそうだねと歩き始める。が、違った。急登して一度谷を下り、再び急登。 遍路道から別れて少し左へ下った所に清水大師。小さな祠のような大師堂にお参りをした。 しばらくすると道は尾根道に。左眼下には真っ青な宇和海が広がっている。木漏れ日も柔らかく、宇和のイメージそのままの遍路道。 高知の「民宿あわ」のおかみさんが「雰囲気のいい道として、焼坂峠とどこかが一二を争っている」と言っていたが、この遍路道がそうかもしれない。 里に下り、畑地の集落を抜け、国道沿いをを歩く。 津島大橋を渡ると対岸の旧道沿いに風情のある町並みが続いている。川沿いの歩道から河川敷に降りて足を伸ばす。今日はあと20kmほど、ここで半分弱だ。 |
柏坂越え |
この先には国道と旧道2つの松尾トンネル。本に国道トンネルのすさまじい排気ガスの話が書いてあったし、極力旧道を歩きたいと思っているので、お弁当を買って旧道のどこかでランチタイムとすることにした。 お弁当とお茶をリュックにしまい、旧国道へと左折して山を巻きながら登っていく。でも惨状・・・。ゴミ、またゴミの不法投棄。ランチタイムは後にして峠を目指す。しかしトンネル手前に採石場があり、あんまりの雰囲気なのでまた延期。杖の音がちょっと不気味に反射する旧国道トンネルを抜けると、なんと大規模な採石場。お弁当を食すどころか、埃のなかダンプを避け、通り過ぎるのが精一杯。あんまり良いコースじゃなかった。黙々と歩く。1時間ほど歩いた保田で児童公園を見つけ、若干貧相なランチタイムとする。 1時間ほどで宇和島の中心部へ。番外龍光院に16時30分到着。気持ちいいほど手入れの行き届いた境内に梅が満開。お参りし、石段上から宇和島城を眺めながら休んでいると17時。宿に向かいぶらぶらと歩くことにする。 国道の歩道歩きは気が進まないので、並行する裏道を進み、「クワホテル」に到着。今日はスパ付き、7種類のお風呂で疲れをとることが出来た。満足。今日は46668歩。 |
龍光院 |
通算29日め | 13.03.03 |
務田 |
今朝は8時に出発。山間いの県道を進む。務田の駅前から龍光寺のある杜まで一直線のあぜ道が田を貫いている。第41番龍光寺、石段を登り、そもそも本堂だったという稲荷社にまず参拝。 帰りは本堂脇の駐車場から遍路道へ。振り返ると本堂、大師堂、稲荷社殿の3つの屋根が緑の杜の中になかよく並んで見えた。山向こうの仏木寺までは約2km、ぶらぶらと歩道を歩く。秋になればコスモス街道と化すという景色を想像しながら少し鼻歌まじり。ほどなく第42番仏木寺の門前に到着。山門でポンカンのお接待を頂いた。ご朱印をいただき、茅葺の鐘楼の下で休憩。 県道を北へ進み、遍路標識に従って左へ折れる。雰囲気の良い未舗装路をしばらく歩いて山道に。上方で聞こえていたチェーンソーの音が、高度を上げるにつれ大きくなった。やがて登りが一段落して視界が開けると、おじいさんとおばあさんが伐採の作業中。「そろそろお昼だから」ということでお弁当を一緒にいただくことになってしまった。 「今日はなぜか2人では余るほどお弁当を作った」そうで何かの縁だとおっしゃる。「昭和15年位までは峠を越える遍路が数珠繋ぎで鈴の音が賑やかだった」そうだ。また農産物自由化までは見渡す限りのみかん畑だったらしい。お大師さまゆかりの”則”・・・”すなわち”にお住まいのお二人と、宇和海を見下ろしながら楽しいランチタイムを過ごした。ごちそうさま&いつまでもお元気で |
歯長峠 |
再び高度を上げ、迂回してきた車道を少し歩く。このまま進めばトンネルだったが、遍路標識を確認し歯長峠への山道を選んだ。「苦をとるか楽をとるか、胸先三寸の別れ道」 脅かしじゃなかった。鎖に頼っての急登、それもいままでで一番の急登。あっという間に車道を見下ろして歯長峠に到着。小さな大師堂にお参りし、遠くの宇和海を眺める。休憩。 峠からの下りは荒れ荒れの土道で、しかもやっぱり急勾配。少しあやしい頭上の雲から雨が落ちてこなかったことを感謝した。 交通量の多い県道を避け、宇和川を挟んで並行する道を選んだ。下宇和の手前から旧道を歩き、標識に従って民家の間の路地へと分け入る。その後、標識が見当たらず、目検討をつけて進み、第43番明石寺に到着。参道の白梅、紅梅が印象的だった。 時計をみればまだ15時。重厚な山門脇から遍路道で卯之町へ。今回の遍路行で楽しみにしていた街歩きを楽しむ。白壁の家並み、そして白装束のまま開明学校を見学。司馬遼太郎著「街道をゆく」で読んだ「イロハの表」や窓越しに見える卯之町を眺めた。つい卯之町の歴史についての冊子を購入してしまい、リュックを少し重たくして商店街を歩く。町を過ぎ、上宇和にあるパークホテルに到着寸前に雨が落ちてきた。タイミングに感謝しつつ無事宿へ到着。 今日は37741歩。 |
通算30日め | 13.03.04 |
目覚めると青空。国道56号を北へ向かう。途中から旧道に入れば、古い街道の面影がそこかしこに。信里という集落の大師堂で朝のお参り。 国道に合流し、ほどなく峠へ続く旧道へと左の坂を降りた。民家の間を抜け、なだらかに登っていくと石仏群が現れ、鳥坂峠に到達。峠は切り通しで展望には恵まれなかったが、とりあえず休憩。気分のいい登り道だった。(要するに楽だった) がしかし、思わず降参したくなった。カーテンのように見える朝の光にきらきらと輝く霧のような粉、あー! 恐怖の杉花粉!! くしゃみ 鼻水 眼がかゆい。くしゅくしゅしながら国道手前で札掛大師堂に参拝。畑に菜の花が綺麗だった。 鳥坂トンネルを抜けてきた国道に合流する。「ドライブインせきしょ」でたこ焼き350円也を購入し昼食とする。少し風が出てきた。 宇和島街道をゆるゆると大洲に向かって下る。反対車線側を乳母車を押して登ってくる遍路さんに出会った。車道を横断し挨拶をする。逆打ちのその方は、霊山寺で全財産であるリュックが無くなってしまったとのこと。文字通り無から今回の遍路が始まったそうだ。「お兄さん、事故には気をつけるんだよ。事故も交通事故だけじゃないからな」 無事満願成就されますように。 |
鳥坂峠 |
12時に大洲の街に着いた。おはなはん通りを少し見学し、肱川を渡る。雨が降ってきた。 大洲駅の近くまできて雨具に腕を通す。幸運にも合羽を着るのは21番太龍寺さん以来だ。 弱い雨の中、市街地の歩道を進む。マクドナルドやショッピングセンターが新しく出来ていると思ったら去年工事中だった大洲道路との交差点が、綺麗に出来上がっていた。 その大きな交差点の角に位置することになった番外十夜ケ橋に無事到着。 まず国道の桁下におられるお大師さまにゆっくりご挨拶。日本地図で描く四国の一番左側まで無事回ってこれたことにお礼を言った。 本堂、大師堂とお参りを済ませると、今回の遍路行はここ栄徳寺で区切り。橋のたもとの東屋で千葉我孫子のOさんに再会し、短い出会いを少し惜しむ。一期一会・・・ 十夜ケ橋から歩いてきた道をバスで戻り、大洲駅で列車を待っていると横なぐりの雪になった。 Oさんは内子まで進むと言っておられたが大丈夫だろうか。 大洲駅のトイレを拝借し、白装束を解く。 乗り込んだ特急の窓から見える内子への道に、早くも次回の遍路行が待ち遠しくなりながら松山空港経由で家路に着いた。十夜ケ橋まで32758歩。 |
肱川 |
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