go to top 区切り打ち その7

十夜ケ橋から51番石手寺まで


13年3月17日〜3月20日

通算31日め 13.03.17

内子座
 一度東京に戻り2週間後、春分の日と有給休暇を利用して4日間の遍路行を捻出。今回も早朝に家を出て、松山空港経由し大洲駅に降り立った。今日は雨、一日やみそうにない雨だ。早々に十夜ケ橋へ移動する。
 
 大師堂と橋の下のお大師さんに挨拶していたら、バナナと250円のお接待をいただいた。歩き始めは11時50分。途中、新谷の町を旧道で抜ける。少し風情のある町並み。五十崎の分岐で昼食のサンドイッチを購入。店の方から「雨の日はぬかるんでるから国道を進んだ方が楽だよ」とアドバイスされたけど、小雨程度だったので予定通り遍路道を選ぶ。
 
 上りらしい上りも無く、ぬかるみを草や砂利で避けて歩き、運動公園の軒下でパンを食し、経由して内子の町へ。卯之町、大洲と並び情緒ある街なので、「八日市歴史的建造物保存地区」に寄り道し、ちょっと観光してみた。
 白壁の続く保存地区は喫茶店やお土産屋が目立ち、少しお化粧しすぎの感もあるなぁ。観光客気分で散策していたら、遍路姿が町並みに似合っていたのか、逆に観光客の被写体になっていた。
 
 内子から国道379号で山間に向かう。今日宿泊予定の小田町までは、まだ約20km。
 雨は特別強いわけでもないが、止む気配もなく降り続いている。雨に煙る山と、道に沿って蛇行する小田川の流れを眺めながら単調に歩を進める。

大師堂
 途中の大瀬集落で気分転換するかのように旧道を通る。
 大江健三郎の生家があると聞いていたので注意していたがわからなかった。

 単調な2車線道路で、山あいのため眺望も無く、おまけに弱い雨ときては道が長く感じられる。

 途中のバス停(小屋)で時々休み、千人宿記念大師堂、楽水大師堂と過ぎると突合分岐に到着。ちょうど日が暮れてきた。
 T字路角の雑貨屋でスニッカーズでも買おうとしたら、リポビタンをお接待していただいた。

 本来はここで宿泊し、落合経由で進みたかったが、地図に載っていた宿はやっていないとのこと。右折して小田町に向かう。
 小田町役場前の高橋旅館に19時15分到着。飛行機が遅れたため大洲への列車に1本乗り遅れてしまい、その分1時間着くのが遅くなってしまった。今日の泊まりは僕1人。    今日は39561歩。

通算32日め 13.03.18
 7時過ぎに歩き出す。古い町並みの残る小田町を抜け、再び1.5車線の国道歩き。ときどき道の斜面に祠があり、お大師さんやお不動さんが祀られている。挨拶しながら進む。2時間ほど進んだ大平の集落から畑峠を越えて臼杵まで行き、下坂場峠を越えようと思っていたが、廃道になっていて通れないとのこと。大平から新真弓トンネルを抜け、父二峰橋経由とする。大平からは綺麗な2車線道路だった。苦もなく新真弓トンネルを抜け久万町に入るが、旧遍路道を歩けずちょっと残念。

 だらだらと国道380号の坂を降り、父二峰橋からは綺麗に拡幅された県道を左へ進む。少しつまらい。県道に沿う川の反対側のあぜ道を歩く。土の感触のほうが歩きやすい。
 宮成で下坂場峠から来た道に合流し、ひわた峠を目指す。車道から離れ、今回2日めにして遍路道らしい雰囲気になる。久万町に入ったせいか、なんとなく高原っぽい。
 ほどよい登りで、ひわた峠に到着。いままで曇っていたけど、ここに来てようやく晴天に。気分良く峠の下り道。久万町を見下ろしながら歩く。

 国道33号にでたところで”ほか弁”を発見。大宝寺で食べよう。国道を少し松山方面に歩いて右折。お久万大師堂に寄って、第44番大宝寺へ。杉木立のなかの山門をくぐり、到着は14時。

 納経所前のベンチでランチタイムとする。「ここまで来れば半分回ったんだよ」と励ましていただいた。なんとなく40番くらいから後半戦のような気がしていたけど、確かに札所の数ではここで半分か。いつのまにか札所を目指すことより、その道中が楽しみになっていた。
 そうは言っても「半分歩いたんだね」と言われれば少し充足感。ちょっと感慨にふけったりして、長居をしてしまった。15時半に腰を上げる。

 山門を出て木立の中の遍路道を登る。峠を越え県道に合流し、その先の河合で旧道を歩く。昔の遍路宿や木賃宿の面影を残している。祖父、祖母もきっと泊まったんだろうなぁ、と眼に浮かぶ気がする。神社では猫がじーっとしていた。時が止まったような気がした。

 遍路道に入り、峠をひとつ越え、小川を渡ると林道に出た。標識に従い少し下り、八丁坂入り口の分岐点で休憩。明朝登る予定の八丁坂を背に小川に沿って山を下っていく。
 途中で林道と別れ、川に沿った遊歩道となる。途中に大師堂。そして対岸の岩山の切れ目にお不動さん。日が暮れてきたせいか、見上げているとちょっと怖い。
 そのまま下っていくと見覚えのある国民宿舎古岩屋荘に到着、18時。今日は温泉、ちょっとぜいたくな気分。37951歩


ひわた峠へ
通算33日め 13.03.19

八丁坂
 出発は7時45分。昨日降りてきた林道を八丁坂入り口の分岐まで戻る。厳しい厳しいと聞かされていた八丁坂だったけど、朝の足なのでさほどきつくない。それよりも、やはり深山幽谷といった感じで、これぞ遍路道といった感がある。登りきったところで、槙谷から来た道と合流。茶店跡からは見晴らしが良く、気分良く稜線歩きを楽しむことができた。やがて道は稜線から急な角度で降りていく。九十九折に高度を下げていくと逼割禅定の木戸や不動堂が現れ、さらに降りていくと古色蒼然とした山門が現れた。国民宿舎から2時間経過して第45番岩屋寺に到着。お参りと納経を済ませ、納経所で白王権現(逼割禅定)にお参りしたい旨、申し出る。

 本堂と禅定の木戸との間に36不動さんが祀られていて、36巡りの納札と木戸の鍵がセットで200円とのこと。岩屋寺36不動というのは知らなかったが、せっかく納め札も頂いたことだし、ということで第1番から回る。回り始めて気がついたけど、納札だけ置くなんてことにはならず、簡単ではあるがお参りさせていただくわけで、これが36もあると思いのほかの所要時間である。

 木戸を空け、リュックを背から降ろし、身軽になって逼割禅定に臨む。最初は垂れ下がっているロープを使って岩山の切れ目を登る。岩が湿っていてちょっと怖い。
 なんとか登りきると少しテラス状になっていて、今度は鎖場の登場。今度は切れ目ではなく、岩壁を攀じ登るといった感じ。鎖はかなり太くて丈夫そう。最初、普通の山の鎖場のようにあくまで補助的に用いるものだと思って登り始めるが断念。思いっきり鎖に頼らないと登っていけなかった。第三の登攀は、21段の梯子になっていた。登りきった岩の頂上に白王権現の小さなお社。そして360度の眺望。不安定な足元を気にしつつ(平らな部分は無かった。)お参りをする。 

逼割禅定
 東に眼をやれば、山号「海岸山」を納得するような岩峰と山並みが幾重にも重なり、彼方に位置するであろう石鎚の峰に思わず合掌。

 岩屋寺を12時に出発し、参道を下っていく。石仏や遍路墓石がいっぱい。山門をくぐり、直瀬川に沿ってトンネルのある山を巻き、小1時間ほどで国民宿舎に到着。ここを逃すとしばらく店が無さそうだったのでレストランで昼食とする。
 しばらく昨日辿った道を戻り、歩道が無くて怖い峠御堂トンネルを抜け久万町に下りる。時間はすでに15時半。日没後、三坂峠からの急坂を下ることになるとかなりまずい。少し疲れ足になってきたが、頑張って峠まで続く長い長い坂を登る。

 三坂峠に17時半到着。歩道脇の自販機で喉を潤し、馬子泣かせといわれた三坂越えの急坂を下る。深い杉木立の区間は既に夕闇といった感じで、部分的な夕闇が全体的にならないようにと小走りで下る。なんとか明るいうちに山を降りきり里道に出ることができた。振り返ると今駆け下りてきた三坂峠がはるか上にあった。

 桜の集落を越え、槙まできて夕闇に包まれた。三坂峠でこの闇に包まれたら進退窮するところだった。ぎりぎりで救っていただいたような気がする。長珍屋に19時半到着。今日は47479歩。

通算34日め 13.03.20
 7時45分に出発。第46番浄瑠璃寺は長珍屋さんの目の前。山門の奥に本堂が見える。お薬師さんにお参りをして遍路道を歩く。住宅街になっていて遍路道というより遍路コースか。
 ほどなく第47番八坂寺に到着。1年前よりは進んでいたが、未だ工事中で山門をくぐってのお参りは出来ず横の入り口から入る。駐車場脇の茶屋で生姜湯のお接待。

 衛門三郎の屋敷跡といわれる番外札所文殊堂へ。「ハンニャシンギョッ」と盛んに繰り返す声が聞こえる。何かと思ったら納経所脇に九官鳥。寺の方が、機嫌のいい時しか喋らないとおっしゃっていたが今朝はよほど上機嫌とみえる。

 しばらく県道を歩き、札始大師堂に参拝し、重信川を渡る。斜めに遍路道に入り、しばらく直進すると正面に第48番西林寺。小さな橋の先に山門があり、正面に工事中の本堂が見える。仮なのかな? 右手の大師堂とならんだ位置に本堂があった。

 今日は次々と札所が現れる。歩く距離が短いと、「さぁ、次いこ」といった気分になってしまい、なんとなく歩くことよりお寺を回るのが目的のような感じがしてくる。なんか気ぜわしくなるから不思議。

右 松山道
 第49番浄土寺に到着。参道で10人ほどのグループにすれ違う。歩き始めた頃は、本堂前を占領(のように映る)し、競うような御真言、うず高く積まれた納経帖に正直迷惑に感ずる気持ちがあった。でもその後(僕のような)歩き遍路より純粋のような気がして、すごく好感をもつようになった。そんなわけで先達さんに気持ちよく挨拶したところ、「頑張りなさいね」といって金の札を頂いた。(その途端、先達さんは「センセ、金持ってるなら分けてーな」と女性陣に取り囲まれてしまい、申し訳なかった。「やたら配るようなものではなーい」との抵抗してたけど・・・)

 お爺さんが裏道を案内してくれ、近道して第50番繁多寺に到着。ちょっと年配(?)のわんちゃんと戯れてからお参りをする。大師堂前の興教大師像についてお聞きしたら、いつでも覚鑁上人がお大師様にお会いできるよう大師堂の正面に建立したと微笑まれた。
 山門前でアイスクリン(なんで四国ではこう言うんだろう?)を買い求め、舐めながら進む。その名も遍路橋を渡ると第51番石手寺が見えてきた。時計を見ると14時。今回の区切りは、ここ石手寺とする。 

 今回もわずか4日間だったが、大洲〜久万〜岩屋寺〜松山と進め、十夜ケ橋がずいぶん以前に思えた。松山空港の最終便にはまだ時間があるので、道後温泉で湯につかり、白装束を解くことにした。 20849歩。

松山市街へ
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