区切り打ち その8 51番石手寺から59番国分寺まで 13年4月20日〜4月22日 |
通算35日め | 13.04.20 |
義安寺 |
芸予地震から3週間、朝7時羽田発のJALで空路松山へ。バスで石手寺前まで移動し、お遍路さんに変身する。大師堂に参拝し、11時に歩き出す。5分ほど歩いて義安寺へ。こじんまりとした境内だが、絶えることなく地元の方が参拝に訪れている。道後名物の焼餅と現金千円のお接待を頂いた。 宝巌寺に立ち寄り、道後温泉本館前を通って賑わいを抜ける。市街地をしばらく進むと松山大学のグランド付近から松山城が見えた。遍路シールに助けられ国道まで出ると、古三津廻りと安城寺廻りの選択を迫られる。今回は安城寺廻りを選んだ。潮見小学校の歩道橋で左折。志津川の堤防道はなのんびりした感じで心地よかった。 予讃線の踏切を渡り、団地脇をそのまま進むと遍路道。約2時間歩いたので児童公園で一休み。義安寺で頂いた焼餅を頬張る。 山裾の遍路道を進んで車道に出れば太山寺の一の門は近い。遍路宿の残る参道を進み、今度は車は迂回する二の門をくぐる。ここからの参道は若葉の眩しい木立の中を進んだが、進むにつれ勾配はきつくなった。最後に石段を登り、三の門をくぐると第52番太山寺。ここでもわんちゃんが迎えてくれたが、昼下がりでちょっと”おねむ”状態だったみたい。 |
堀江を過ぎて |
登ってきた参道をゆるゆると下り、約2キロ先を目指し、たんたんと歩く。街中の雰囲気に変わると第53番円明寺に到着。大師堂脇にはマリア像の彫られた石仏が残っていた。 納経を済ませ、踏切を渡ったところで自転車遍路さんに出会った。挨拶を交わそうとして見れば、確かどこかでお会いした筈・・・。正月に土佐下之加江から宿毛へ歩いていたとき、山中でお会いした長崎のNさんだった。一期一会とはいえ、再会は嬉しく、またさらに分かれ難し。 国道196号に出て、一路伊予北条の街を目指す。堀江の町を抜けるとおだやかな斎灘を左に見る海沿いの道になった。南宇和以来の久し振りの海沿いの遍路道。遠く島々を見つめながら風に吹かれて歩く。 粟井、柳原と進んでいくと崩れている土塀や屋根瓦などが目につくようになり、地震の大きさを感じさせられた。聞いた話では、断層の関係で、このあたりの被害が一番大きかったそうだ。 徐々に国道の両側が賑やかになってきて、商店の途切れることがなくなってきたら北条駅入口。「花へんろ」の観光看板を過ぎると、今日の宿「太田屋旅館」に到着。19時になってしまった。夕食には鯛飯をいただいた。これは実に二重丸、とてもおいしい食事だった。今日は36689歩 |
通算36日め | 13.04.21 |
昨日、斎灘が妙にもやっていた。雨具を着込んで8時に太田屋旅館を出発。北条市役所脇から大師橋を渡って畑中の道を進む。伊予北条の平野を進む道が恵良山に溶け込むころ、鎌大師堂があった。お参り済ませ、庫裏にまわって手束妙見尼にお目にかかる。 突然伺ったのにもかかわらず快く迎えてくださり、お茶まで点てていただいた。お話を伺っているうちに時は過ぎてしまい、去り難く庵を後にする。遍路標識に従って杉木立の中を登っていく。峠近くの育成園前で振り返ると北条の街と斎灘が見えた。 雨は止む気配が無く、一歩一歩確かめるように急坂を下る。浅海の集落を抜けると再び海沿いの国道歩き。海と予讃線に挟まれて進む。 風早のネーミングどおり吹き付ける風が強くなった。何一つ風を遮るものが見当たらず、風も緩急なしに吹き続けるため歩きにくい。ときどき向きが変わり、逆風でなくなると、それだけでも有難く感じる。ちょっと辛い・・・。 砥鹿山をトンネルを抜けず海側に迂回して越えると国道の右側に人家が連なる。国道の植樹帯に一人用のテントが張られている。ふと見るとお休み中のようなので黙礼だけして通り過ぎた。この雨で今日は進軍中止の様子。僕も久し振りの自販機を見つけ小休止をとった。 菊間町は製瓦の町。弘法大師開基と伝えられる番外霊場遍照院の仁王門も、仁王様に代わって阿吽の鬼瓦・・・。「お遍路さん、お昼はお済ませかい?」そう言ってカップうどんを接待してくださった。海沿いの道を雨と風に晒されて歩いてきたので、湯気の立つ熱いうどんがとてもおいしかった。 |
手束妙見尼 |
うどんで生気を取り戻し、再び国道を歩き始める。巨大な石油工場の一角にある青木地蔵に立ち寄る。野宿の遍路さんが3人。雨のため今日は進まないことにしたという。それに比べて僕は旅館泊まりで進んでいて楽しているなぁ、でも反面雨でも進まなきゃいけないしなぁ・・・。 車が路肩に急停止。降りてきた男性からポチ袋を手渡され「頑張ってな」。袋の中には励ましの言葉と飴と150円。走り去る車に何度も頭を下げた。高知ナンバーのデリカの方、ありがとうございました。(実は後日また会うことが出来た。) 大西町に入り、駅近くのケーキ屋さんでコーヒーとタルトのお接待をいただく。自家製の柚子風味タルトは今までで一番美味しかった。店内には保存協会の宮崎さんの写真も飾られいた。 16時30分、第54番延命寺到着。お参りを終え、今治の街を目指す。夕食は一日中雨に打たれていたせいか熱いカレーを選んだ。 19時今治駅前のアーバンホテル到着。冷たい雨の一日だったが人の心が暖かい一日だった。 37997歩。 |
鬼瓦 |
通算37日め | 13.04.22 |
龍泉寺 |
昨日とはうって変わって雲一つ無しの青空。8時半にホテルを出て、第55番南光坊へ。隣り合わせの元札所、大山祇神社と高野山今治別院は、札所と違って静かな境内だった。 納経所で頂いた道順を記したメモのとおり街中をまっすぐ進んで第56番泰山寺。奥の院について尋ねると「行っても誰もいませんよ」と素っ気無い返事。そういう問題じゃないんだけどなぁ・・・。龍泉寺の観音様にお参り。 泰山寺正面からあぜ道を通り、蒼社川の堤防を降りて川を渡る。川沿いをしばらく歩き、山裾を巻く遍路道を通って第57番栄福寺。掛軸の朱印を乾かしながら小休止。 来た坂を下り、遍路標識に従って左へ道をとる。しばらく進み堰堤を登ると犬塚池。池を左に見ながら遍路道を進む。ちょっと山中といった感じで、久し振りの山道といったところ。 気持ちよく登り、一度車道を横切ったあとは、しばらくみかん畑の車道を進む。「車に乗っていきますか?」寺の方から声をかけていただいた。心遣いが有難たかった。 4月下旬、晴天、汗を拭き拭き坂を上って新しい仁王門に到着。少し休んだ後、石段を登る。途中の霊水には汲みに登って来た人が何人かいた。 |
仙遊寺から |
第58番仙遊寺。今朝歩いてきた来た今治の街と瀬戸内海が眼下に広がっている。晴れ晴れしい気持ちでしばらく休んでいたが、空腹に気づいたので山を下ることにした。再び石段を下り、少し車道を戻って右の遍路道へ。眼前に瀬戸内を見下ろしながら急坂の途中の土道を下る。途中の分岐は左を選び谷の集落へ。時が少し戻ったような感のする街を抜ける。交差点に自販機を見つけて休憩。 伊予富田駅近くから県道を右に進む。踏み切りを渡った先のスーパーでお弁当を調達。国分橋たもとにベンチを見つけお昼タイムとする。 第59番国分寺に15時20分着、門前にタオル屋さんがあり、お兄さんからタオルのお接待を頂く。大きさも手頃ですごく重宝です。 今回の遍路行はここで区切り。ゆっくり鐘を撞き、納経を終える。わずか3日間の区切り打ちだったけど松山近郊の風景、風雨の瀬戸内、快晴の作例山と充実を感じる。 石段を降りていくと五九楽館のお兄さんから今度はアイスクリームを頂く。中にお邪魔し話をさせていただいた。今回ここで区切りなので来週また来ます。 白装束を解き、16時14分のバスで伊予富田駅へ。今治で列車を乗り継ぎ、松山空港経由で帰京した。24762歩。 |
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