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硫黄島(2) | ||||
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沈船 |
島の西側に沈船海岸と呼ばれている場所があります。 戦後、米軍が港を作ろうとしてコンクリート船を爆破して沈めたものだそうです。 しかし、硫黄島は年間30cmという異常な隆起を続けているため地形の変化が激しく、計画は放棄され、沈船は放置されています。 この付近は当時水深10m以上だったそうです。 |
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トーチカに残る銃 |
日本軍迫撃砲 |
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鉄筋コンクリートのトーチカも砲撃により破壊され、据えられている機関銃も焼け焦がれ曲がっていました。 | ||||
病地下壕の入口 |
病院として使われた壕 |
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日本軍の地下壕は火炎放射やガソリンの流し込みの攻撃を受けましたが、生き埋めも行われたそうです。 また戦後、米軍統治下にあって地下壕は遺体が眠ったまま埋められてしまいました。 復帰後、深く入り組んだ地下壕が発見されていますが、いまだその多くはジャングルの地下に眠っています。 地下壕に入ると内部は40〜60℃の高温高湿で、硫黄ガスも漂っています。 病院として使われた壕の中は遺骨収集だけは済んでいるものの、当時の薬瓶や洗面器などが生々しく散乱していました。 |
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米軍上陸記念(?)壁画 |
昭和20年2月19日(毎日新聞社) |
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日本兵(毎日新聞社) |
攻防の末、米軍は摺鉢山に落ちていた鉄パイプに星条旗を結んで立てました。 しかし、士気高揚を考慮し、船から大きな星条旗を運んできて従軍記者に再度の星条旗掲揚を撮らせたそうです。 これが「第二次世界大戦で最も有名な写真」と言われているものとなりました。 この写真をもとに岩盤に刻んだ壁画が島の北東部にあります。ときどき米軍が来てペンキの塗り直しをしているそうです。 戦後、帰還兵として苦しみ、アルコール中毒になってしまった人物は壁画から削りとられたそうです。 Iwo Jima Monument としてワシンDCのアーリントン墓地北側に誇らしげな像が建っています。 |
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